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シンポジウム

大会シンポジウム 7月19日(日) 16:40~18:10

テーマ
サイコセラピーとスピリチュアリティ
対談
東 豊(龍谷大学)
芦沢 健(植苗病院)
指定討論者
児島 達美(長崎純心大学)
中島 央(向陽台病院)
司会者
遠山 宜哉(岩手県立大学)

対談者 東 豊先生

*「感謝と赦しの祈り」・「神仏への祈り」を宿題とすることの効用*

感謝とか祈りなどと言うと怪しく感じる人もいるかもしれませんが、ブリーフセラピーの視点からこのような宿題の治療機序と導入のための下地作りについて語りたいと思います。

特に下地作りにあたるところの、セラピストとクライエントが「P循環・N循環」の考え方を共有するプロセスこそは一番の勝負所であります。ここで(いわゆる)脱焦点化を成功させねば宿題は意味をなしません。

当日はいくつかの事例を元にスピリチュアリティと心理療法の接点を探るべく大奮闘したいと思います。無論、スピリチュアリティについても本音トーク満載。お楽しみに。

対談者 芦沢 健先生

スピリチュアリティは曖昧さがあるので私の考えを述べる。スピリチュアリティは、ある種の一体感で非言語的なもので、感じることに近い。人とも環境とも極めて安心して互いを信じあえる心地よい一体化した世界に浸っていることと考えている。

当日は、オキシトシンが信用-愛情ホルモンとして研究されていることに言及し、スピリチュアリティの起源を一緒に考えたい。さらに人は自分の命を犠牲にしてまで他者を助けること(利他的であること)があり、美談とされる。スピリチュアリティに関わる問題としてサイコセラピーとの関連で取り上げてみたい。

さて、サイコセラピーの役割は何であろう? サイコセラピーで解決できるのならば、そもそも問題ではない。解決できない問題はどうしたらよいのだろう? 別の治療法を渉猟すれば解決するのだろうか? 私は、必ずしも解決しなくともよいと考えている。解決がなくとも少し平気で居られるようになるのならばそれでよいと思っている。クライエントと共に悩む中にスピリチュアリティがあると信じている。

スピリチュアリティは、問題解決がなくとも一緒に抱えていくことのできるレジリエンス(抵抗力)を創り出すと信じている。サイコセラピーで最も大事なことは、技法そのものよりも解決できない問題を共に困ることだと考えている。症例も含め一緒に考えたい。

追伸 サプライズやどんでん返しも用意してみます。一緒に楽しみましょう。

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シンポジウム1 7月19日(日)  13:20~14:50

テーマ
発達と改善・回復をもたらすもの
シンポジスト
市橋 香代(東京大学病院)
衣斐 哲臣(和歌山大学)
大友 秀人(北海商科大学)
指定討論者
岡 留美子(岡クリニック)
菊池 安希子(国立精神・神経医療研究センター)
司会者
阿部 幸弘(こころのリカバリー総合支援センター)

シンポジスト 市橋 香代先生

突如ふりかかってきたこのシンポジウム、どんな企画趣意で発案されたのでしょうか。当初私は「発達と改善」と「回復をもたらすもの」の2つをつなげて考えていました。でももしかしたら「発達」「改善・回復」をもたらすもの、という意図なのかもしれません。

自閉症スペクトラム障害の増加が指摘されて久しいです。診断基準の改定や疾患(障害)概念の再構成などの政治経済的意図を鑑みても、実数が増加しているという背景には、環境要因による「進化」もしくは「退化」とでも言うべき側面があるようにも思います。

相補的な「進化」と「退化」という概念から「発達」という言葉を改めて眺めてみると、適応のために望ましい(と自分が思う)方向に向かうことを指して使っていることに気づきました。「改善」という言葉も自分の物差しを基準に使っています。こうなると多数派の権力です。

今回はこれらの「誰から見て」「誰にとっての」という辺りに関して「リカバリー」という概念を用いて整理することに挑戦しようかと考えています。一人で考えていても自分の視点から逃れられないので、シンポジウムの中で多面的な見方が得られたら自分の臨床が豊かになるのではないかと夢想しています。おみやげは参加者のセンスの交絡という体験でしょうか。

シンポジスト 衣斐 哲臣先生

「ブリーフ、システム、“介在”の各視点がもたらしたもの」

本シンポの依頼を受けたときテーマは「変化と突破(brakethrough)」だった。そこからの連想が「必然+治療的工夫」、児童主体なら「安心・安全+発達促進」、それならフィールドは「発達相談+家族支援」、そのために「私は何をどのように介在させてきたか」とキーコードの読み替えを行った。

児童相談所領域で臨床活動をしてきて、今年度から研究職として「臨床実践の言語化」「福祉と教育の協働」のミッションが本業となった。児童虐待への取り組みが子どもに関わる人たちの学際的な協働をもたらしたと同様に、ブリーフ的取り組みが本シンポのテーマおよび私の新たなミッションへのブレイクスルーをもたらすものになれば勿怪の幸いと思い、自分の臨床をふり返り提言したい。

シンポジスト 大友 秀人先生

演者の専門とするところは、育てるカウンセリングを提唱するカウンセリング心理学(國分康孝)なので、本学会のサイコセラピーでのステージは、どちらかというとホームグラウンドというより、むしろアウェーの感覚に近いかも知れない。

本シンポでは、札幌市内の某メンタルクリニックでの復職(リワーク)デイケア内で演者が実践してきたプログラム(その名も「縁かうんたー倶楽部!」)の概要 を紹介しながら、“グーループ”での改善・回復について演者の所感を述べ考察を試みたい。

一方、ブリーフサイコセラピー自体がサイコセラピー業界の中でアウェーの立場にあるような気もしなくもないので、もしかすると当日はアウェーの地で思わぬノスタルジーに浸ってしまう予感もある。

ただ、油断してくれぐれもオウンゴールなどしないように、キックオフからドリブル、パスなどの中で自身の得意技を確認、披露したうえで、もしその機会に恵まれたならば、何本かのシュートを放って雄叫びをあげてみたい気もする。

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シンポジウム2 7月20日(月・祝) 10:40~12:10

テーマ
マインドフルネスとブリーフセラピー
シンポジスト
高橋 美保(東京大学)
津川 秀夫(吉備国際大学)
山田 秀世(大通公園メンタルクリニック)
指定討論者
越川 房子(早稲田大学)
吉川 悟(龍谷大学)
司会者
長田 清(長田クリニック)

シンポジスト 高橋 美保先生

「マインドフルネスに見る心理療法の本質 -失業者支援の現場から-」

演者はこれまで失業にまつわる研究や実践を行ってきた。特に非自発的な失業の場合には、個人に非があるわけでもなく、社会情勢の中で抗えないものとして個人の人生に降りかかることもある。人は絶望の淵にあって、どのように次の一歩を踏み出すのか、失業をテーマにそんなことを考えてきた。

失業の臨床では「どんなに絶望していても、バランスよくモノを観て、今あるものを活かしながら事態に主体的にかかわり、できればそこからささやかでも何かを得る実感を持てるよう援助すること」が重要と感じてきた。これまでこれを体系的に表現することができないでいたが、昨今、まずはセラピスト自身がマインドフルであることが重要ではないかと感じている。

今回ブリーフセラピーとの比較というお題をいただいて、長らく距離を置いてきたエリクソンの書に触れ、浅学ながらマインドフルネスに通底するものがあるように感じた。エリクソン自身がマインドフルな人であり、それがセラピーの作用機序となっていたような気がしている。そして、そこに心理療法の本質があるように感じているが、それを臨床でどう実践するのかについては模索中である。

シンポジスト 津川 秀夫先生

「リソースとしての「今ここ」 -エリクソニアン・マインドフルネス-」

エリクソニアン・アプローチには、問題・症状をトランス現象として捉える視座がある。たとえば、フラッシュバックを年齢退行、対人緊張をカタレプシーというように捉え、そこで用いられているトランス現象を介入のなかで利用していく。

このような視座をさらに発展させ、問題というバッドトランスから覚醒させて「今ここ」に方向づける試みを「エリクソニアン・マインドフルネス」と呼んで検討してきた。いや、実のところ、「発展」などと格好のよいものではない。強迫観念にどっぷりはまり込んだクライエントを苦し紛れに覚醒させてみたところ、(たまたま)うまく進んだことから始まったものである。その後、事例を重ねていくなかで、強迫やフラッシュバックのように、一般に「厄介」とされるものに向いていることが分かってきた。

どのようなクライエントでも、「今ここ」にいる限り、問題から自由で、落ち着きがあり、自分や周囲にとって好ましい選択ができるように見える。「今ここ」にいることは、それ自体が最上のリソースであると言えるかもしれない。今回のシンポジウムでは、エリクソニアン・マインドフルネスの着想をはじめとして、実践のなかで見えてきたことについて提示したい。

シンポジスト 山田 秀世先生

「日本発のMorita、世界標準のMindfulnessそして“ブリーフ化”ということ」

演者は、一般外来診療や復職支援(リワーク)デイケアのプログラムの中で、不安や苦痛、疾患や障害へのコーピングスキルや、現世の容易ならざる諸課題に対峙するためのベースまたはツールとして森田療法を活用してきた。

森田療法といっても、旧来の森田療法の実用性を一層高めるために、森田の“ブリーフ化”を模索してきたのだが、2009年の本学会で越川房子先生のマインドフルネスのWSに参加し、それの森田との共通項を思い知らされた。

この経緯を踏まえて、演者独自のModified Morita Method、そして日本に導入されて興隆著しいMindfulnessについて、ブリーフセラピーの祖であるMilton Ericksonの発想や瞑想Meditationの意義などを絡ませて考察する。

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