幕末の動乱を語るために欠かせない場所のひとつといえば「松下村塾」。幕末の思想家・吉田松陰が主宰したこの私塾で学んだ若者たちが、成長したのちに近代日本の礎を築いてきたのです。山口県には松下村塾から巣立っていった志士たちの足跡が多く残っており、歴史好きなら興奮すること必至の観光スポットがたくさんあります。また、鍾乳洞や沿岸部の奇岩など、自然が産み出した芸術作品も見逃せません。
目次
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鳥居と海の美しさと、入れにくい賽銭箱による開運が期待できる「元乃隅神社」
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日本三名橋に数えられる木造五連の「錦帯橋」
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明治維新の主導者を輩出した私塾「松下村塾」
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激動の時代を駆けた維新志士の足跡が残る「萩城下町」
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日本最大級のカルスト地形を有する「秋吉台国定公園」
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スケールは日本最大級!日本三大鍾乳洞に数えられる「秋芳洞」
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日本三大天満宮のひとつに数えられる日本最初の天満宮「防府天満宮」
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島全体が国の天然記念物に指定されている「青海島」
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下関ならではの展示が充実している「下関市立しものせき水族館・海響館」
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海底から県境も跨げる、日本有数の長さを誇る関門橋のある「関門海峡」
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幼くして壇ノ浦に沈んだ帝の魂を慰める「赤間神宮」
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くびれを備えたセクシーな復興天守が特徴の「岩国城」
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鎌倉時代以降、維新志士たちにも愛された歴史ある温泉「湯田温泉」
元乃隅神社
鳥居と海の美しさと、入れにくい賽銭箱による開運が期待できる「元乃隅神社」
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絶景
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神社仏閣
「元乃隅神社」は白狐から御告げを受けた網元が建立した神社。祭神は狐を神使とする宇迦之御魂神(うかのみたま)で、商売繁盛や開運厄除など、様々な御利益があると言われています。傾斜のある参道には123基の鳥居が連なって約100mほどのトンネルを構成しており、潜ると異世界に辿り着いたような感動が味わえます。鳥居と海の色合いが眩いほどのコントラストを生んでいるので、高台からの眺望も抜群。「日本一入れにくい賽銭箱」があることでも有名で、大鳥居の上部に設置された賽銭箱に上手く賽銭を投げ入れることができれば、開運に繋がるそうです。また、断崖部では「龍宮の潮吹」を見物できます。これは約20~30mも潮が吹き上がる自然現象で、運が良いと霧状に散った潮に虹が現れます。
錦帯橋
日本三名橋に数えられる木造五連の「錦帯橋」
錦川に架かる「錦帯橋」は全長約193.3mの木造五連橋です。5連アーチ橋と紹介されがちですが、正確には第1橋と第5橋は反りのある橋桁構造で、第2橋~第4橋が迫持式アーチ構造になっています。訪れた際には河原に降りて、真下から伝統技法による木組みを観察してみましょう。木材が生み出す幾何学模様は息を飲む美しさ。その精巧さは現代の専門家も唸るほどレベルの高いものだそうです。橋の全体像を楽しみたい場合には、予約制の遊覧船の利用がおすすめ。季節に応じたプランがあり、春には「さくら舟」、夏には「鵜飼遊覧」、秋には「もみじ舟」に切り替わります。冬季運航はありませんが、雪化粧を纏った橋の姿も趣があります。
松下村塾
明治維新の主導者を輩出した私塾「松下村塾」
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世界遺産
幕末の思想家・吉田松陰の「松下村塾」は高杉晋作、久坂玄瑞を筆頭に優秀な人材を輩出した私塾です。日本の重鎮となる伊藤博文や山縣有朋も在籍していました。実は創立者は松陰ではなく、叔父の玉木文之進。松陰も塾生だったのです。やがて松陰が継ぐと、学問のみならず尊皇攘夷の思想教育や自由闊達な議論が行われるようになりました。松陰の死後は塾生や親族が塾を守りましたが、やがて閉鎖されてしまいます。しかし、建物は当時のまま松陰神社の境内に現存しており、現在では世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産となっています。中には入れませんが、講義に使われた部屋を外から眺めることが可能です。境内には蝋人形で松陰の人生を再現した「歴史館」、松陰が処刑前日に書いた遺書「留魂録」を展示する「至誠館」もあるので、これらの建物もぜひ見学してみましょう。
萩城下町
激動の時代を駆けた維新志士の足跡が残る「萩城下町」
関ヶ原の戦いで西軍総大将の座にあった毛利輝元が1604年に築城した萩城。その城下にて発展したのが、「萩城下町」です。江戸時代の地図が現代でも通用するほど地形が維持されているのが特徴で、侵入者を阻む鍵曲(かいまがり)、瓦の継ぎ目を漆喰で塗り上げたなまこ壁、煤と柿渋の塗料で塗り上げた黒板塀の建物などに、当時の面影が残っています。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産でもあり、「木戸孝允旧宅」、高杉晋作や伊藤博文が幼少のみぎりに通った「円政寺」などがある「旧町人地」は歴史好き垂涎の名所として有名です。なお、萩城の天守などは1874年に解体されていますが、「萩城跡指月公園」に訪れると堀や石垣を見ることができます。
秋吉台国定公園
日本最大級のカルスト地形を有する「秋吉台国定公園」
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自然
「秋吉台」は美祢市(みねし)の東部にある台地です。白い岩肌が露出したカルスト地形が特徴で、これは約3億5千年の時を経て珊瑚礁が石灰岩に変質して生まれたもの。その規模は本邦最大級で、約4,500ヘクタールの範囲が国定公園に指定されています。地下には「秋芳洞(あきよしどう)」を筆頭に、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将・大庭景清が潜んだと伝わる「景清洞」、牛を隠すのに用いられた「大正洞」など、無数の鍾乳洞が存在しています。また、地表では固有種のアキヨシアザミ、アキヨシミミナグサなど、多様な植物を観察できます。同じく美祢市にある「別府弁天池」も見逃せません。別府厳島神社の境内に湧出している水は、コバルトブルーに見えて色彩が美しく、飲用も可能です。
秋芳洞
スケールは日本最大級!日本三大鍾乳洞に数えられる「秋芳洞」
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自然
「秋芳洞」は国の特別天然記念物に指定されている巨大な鍾乳洞。観光用に開かれているのは約1kmですが、総延長は約11kmにも及びます。中国の世界遺産「黄龍」を彷彿とさせる石灰華段丘「百枚皿」、富士山型の巨大石柱「洞内富士」、海月の大群の如き石筍「クラゲの滝登り」など見所が多く、コウモリやヨコエビなどの生物も棲息しています。ヨコエビは1cmほどのサイズなので発見は困難ですが、運が良ければ固有種が見られるかもしれません。入口は複数ありますが、おすすめは正面入口。縦20m×横8mほどの豪快な裂け目から中に入るので、冒険心が駆り立てられます。懐中電灯を用いての探検が楽しめる「秋芳洞冒険コース」も用意されていますが、こちらは道が険しいので、歩きやすい靴で挑みましょう。
防府天満宮
日本三大天満宮のひとつに数えられる日本最初の天満宮「防府天満宮」
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神社仏閣
「防府天満宮」は904年に創建された神社。菅原道真公を祀る日本最初の天満宮であり、京都府の「北野天満宮」、福岡県の「太宰府天満宮」と共に三大天満宮と称されています。国の登録有形文化財である本殿は、銅板葺の入母屋造。鮮やかな朱色の楼門とは打って変わって落ち着いた色合いなので、その対比を楽しんでください。大石段横の県指定史跡「大専坊」は戦国大名・毛利元就が本陣とした場所で、幕末には志士の屯所として機能しました。「暁天楼」も同様に志士の会合に用いられ、高杉晋作や坂本龍馬も出入りしたそうです。展望に優れた「春風楼」や500もの宝物を収蔵する「歴史館」も見逃せません。また、境内には梅が約1,100本もあり、「梅まつり」の季節には芳しい香りが境内を包みます。
青海島
島全体が国の天然記念物に指定されている「青海島」
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絶景
青海島は青海大橋で本州と繋がっている、面積約1,400ヘクタールの島。南部を除く島の周囲は火山や荒波が長い年月をかけて創り上げた洞窟や奇岩の宝庫となっており、別名「海上アルプス」とも呼ばれています。景観を陸から楽しむ場合には「青海島自然研究路」、海から楽しむ場合には「青海島観光汽船」の遊覧船利用がおすすめ。特に後者は、様々な奇岩を観覧できる上に、波が穏やかなら船体スレスレの洞門を通り抜ける演出もあり、スリルが味わえます。また、極めて稀ですが、イルカを見たという報告もあります。島の歴史に触れたいのであれば、「くじら資料館」へどうぞ。実は、青海島では江戸時代から明治時代にかけて、銛を使った捕鯨が行われていました。資料館からほど近い向岸寺(こうがんじ)にある国の史跡・鯨墓は捕鯨文化の名残。仕留めた鯨に宿っていた胎児が埋葬されています。
下関市立しものせき水族館・海響館
下関ならではの展示が充実している「下関市立しものせき水族館・海響館」
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動物園・水族館
くじらをイメージした流線型の大屋根が特徴の「海響館」。世界に数体しか現存していないシロナガスクジラの全身骨格標本の展示は、そのスケールに圧倒されます。日本最大級のペンギン展示施設「ペンギン村」は屋外と屋内の2つのゾーンで5種類約140羽のペンギンが展示されていて、「ペンギン大編隊」というイベントでは飛ぶようにいきいきと泳ぐペンギンたちの姿を至近距離で見ることができます。また、下関らしくフグの仲間の展示が充実しています。トラフグ、マンボウなど種類数世界一を誇るフグの仲間の展示は必見です。他にも、国内では珍しいイルカとアシカの共演ショーやスナメリがつくるバブルリングが見られる※など、見どころが満載です。
※現在は休止中です。イベントなどの情報は事前にホームページにてご確認ください。
関門海峡
海底から県境も跨げる、日本有数の長さを誇る関門橋のある「関門海峡」
本州と九州を分かつ「関門海峡」。日本海と瀬戸内海を結ぶ海運の要所でありながら流れが激しく、来島海峡、鳴門海峡と共に日本三大急潮に数えられています。全長約1,038mの関門橋は1973年に開通した海峡のシンボル。開通当時、その長さは日本一でした。海底には3本のトンネルが通っており、「関門トンネル」には人道も設けられています。トンネル半ばの床には山口県と福岡県の境を示すラインが引かれており、約58mの海底で県境を跨ぐ貴重な体験が可能です。また、下関出入口にある「関門プラザ」では展示を通して、関門橋やトンネルについて学ぶことができます。なお、海峡の下関側には源平合戦の舞台・壇ノ浦があるので、歴史好きは散策を楽しんでみてください。連絡船を利用すれば、剣豪の決闘で知られる巌流島に上陸することもできます。
赤間神宮
幼くして壇ノ浦に沈んだ帝の魂を慰める「赤間神宮」
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神社仏閣
「赤間神宮」は平清盛の孫・安徳天皇を祀る神社。元々は小泉八雲の怪談『耳なし芳一』の舞台である阿弥陀寺という寺院でしたが、神仏分離を経て神社となり、1940年から「赤間神宮」と号するようになりました。神宮の象徴である竜宮造の「水天門」は白色のアーチ型通路、朱色の楼閣、緑色の屋根のコントラストが美しく、その威容はまさに竜宮城の如し。これは壇ノ浦の戦いにて、わずか6歳で入水することになった安徳天皇を慰めるべく詠まれた「いまぞ知る みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」という歌を汲み取ってデザインされているからです。境内には平家一門が眠る「七盛塚」、源平合戦図などを収蔵する「宝物殿」などもあり、諸行無常が感じられます。
岩国城
くびれを備えたセクシーな復興天守が特徴の「岩国城」
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城
「岩国城」は岩国藩主・吉川広家が1608年に築城した山城。標高約200mほどの城山に置かれ、横山城とも呼ばれていました。錦川を天然の外堀として利用した堅牢な城でしたが、1615年の一国一城令により、解体を余儀なくされた歴史があります。現在の天守は「伝岩国城断面図(岩国徴古館蔵)」を参考にして、1962年に再建された鉄筋コンクリート製の復興天守です。3層4階の上に物見を置いた桃山風南蛮造りが再現されています。南蛮造りは、下層階よりも幅広の上層階を備えた構造で、岩国城を外から眺めると、4階が3階よりも張り出しているのがわかるはず。いわば、3階が「くびれ」のようになっているのです。内部には刀剣や甲冑に加えて、錦帯橋の模型などが展示されています。
湯田温泉
鎌倉時代以降、維新志士たちにも愛された歴史ある温泉「湯田温泉」
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温泉
「湯田温泉」は長門湯本、俵山、川棚の温泉と共に防長四湯と呼ばれている名湯です。古文書に曰く、鎌倉時代から利用されていたようですが、室町時代に負傷した白狐が傷を癒したのが始まりという伝説も残されています。湯量は山陽道でも随一で、一日に約2,000トンが湧き出ています。非火山性にも関わらず泉温が高く、最高温度は70度を超えるとか。泉質はアルカリ性単純温泉。無色無臭で、やわらかく肌馴染みの良いお湯で、美肌の湯として親しまれています。湯田温泉駅の周辺に広がる温泉街には無料の足湯が5箇所あり、観光案内所の前には飲泉場も設置されているので、挑戦してみましょう。また、幕末の志士や文豪が湯田温泉を楽しんだという逸話も多く、「維新の湯」は坂本龍馬らが浸かった浴槽とされています。
山口県には、松下村塾の他にも魅力的な観光スポットが数多く存在していることが分かったかと思います。幕末を代表する思想家である吉田松陰や初代内閣総理大臣である伊藤博文など、日本の歴史を大きく変えた男たちの足跡、魅力溢れる大自然を、ぜひ巡ってみてください。
※2021年3月1日時点の情報です。
※最新情報は各施設の公式サイトをご確認下さい。